ガンダムのTV版と小説版について
先日、小説の「機動戦士ガンダムⅠ~Ⅲ」、「密会 アムロとララァ」を読みました。
この2つを読むと、どうも富野氏は「アムロやララァを、さらには地球連邦を嫌いにさせる」
という意図があったのでは、と思えるのです。
ララァは結局浮気心ではないかとか、地球連邦は宇宙移民に対し搾取しまくりではないかとか、
アムロは戦いたくないのなら最初からガンダムに乗るなとか。
そもそもあとがきでは富野氏はTV版に不服があるようなことを書いています。
TV版ではアムロ達が主人公で連邦が正義みたいな感じですが、
小説版では必ずしもそうではなく、むしろ連邦が悪のようにも読み取れます。
TV版では完璧にアムロはじめ連邦ムードになってしまったのは
富野氏にしては不本意だったとも感じ取れます。
僕自身がアンチ連邦だからこのように感じるのかもしれませんが、
小説は書いたことには、このような富野氏の意図があるのではないでしょうか?
皆さんはどう思われますか?
不満や不本意というより、TV番組として放映する作品としてやるべきことややってはいけないことを理解して表現を変えたのだと思います。
TVじゃなくOVAにすれば良かったのにっては後の祭り。
図らずも内容の二面性を打ち出したことで、こどもの為のアニメから脱却するのに成功しましたよね。
戦争の発端を描くことが必要だった。それはTVじゃできなかったってこと。
「無意味に戦争を仕掛けることはないが、意味のある戦争はない」僕の持論です。
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